丸い石には力が宿る
丸い石には力が宿る
たしか古いインディアンの言葉だったと思うのですが、丸い石には力が宿るという話を聞いた記憶があります。 初めてそれを聞いたとき、そんなものかな?と思いましたが、今になって何となくですがその意味がわかる気がします。
まず丸い石は、仮にかつて大きな岩だった頃があったとすると、そこから割れて分離した後、気の遠くなるような時間をかけて研磨され丸くなったと考えられます。
なぜなら割れたばかりの石は角ばっているから。 丸くなるまでには途方のない時間の経過があったはずです。
その時間の経過分、他の石とは違った何かがあるように思います。 それは何か。
記憶?
石に記憶が宿るのか。
パソコンやサーバーのメモリを目で見ても何が記録されているのかわかりませんが、実際には0か1のデジタルデータとして写真や音声、動画といった様々なものが記録されています。 メモリも元をたどれば、シリコンやゲルマニウムといった「石」から作られています。
同じように考えると、例え目で見ることができなくとも、まだ科学では解明できていないだけで、実は石にも記憶のようなもの宿っていると考えてもおかしくはないと思うのです。
もちろんメモリに記録するような人為的ものではなく、我々がまだ認知できない形式での記録となりますが。
仮にそうだとすると、丸い石には途方のない時間の経過の間の経験が記録として残されていることになります。 そういった意味で丸い石には力が宿ると考えられるのかもしれません。
もうひとつ、個人的には丸くなる石というのは、丸くなるべくして丸くなった石のように思います。ある意味選ばれた石なのだと。 というのは、たいていの石は割れたりすると、いびつな形になっていきます。それがちょうどいい具合に(誰かが見てこの丸い石は綺麗だなと思うように)丸いというのは、数々の偶然が重なってそうなったと考えられるのです。
石は様々な時代のなかで、時には蹴とばされ、投げつけられ、粉砕されるという過酷な環境を経てきたにも関わらず、粉々にならず、いびつな形にもならず、丸いというのは選ばれた一石だからだといえるのではないでしょうか。
もちろん、川の上流、中流、下流域で石を比べると、下流域に近づくほど石は小さく丸くなっていくので、ちょうどよい辺りを探せばたくさんの丸い石はあるでしょう。
でも、そういったなかでも、誰かがよいと思うような丸い石というのは、そうそうあるものではありません。誰かがよいと思うような丸い石は、ある意味トクベツなのです。 そういったトクベツな石だから力が宿るのかなとも思います。